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AC

.20 2011 日記 comment(0) trackback(0)
70年代にスコットランドからの移民がシドニーで結成したロックバンド(AC/DC)のことではなくて、社団法人ACジャパン(Advertising Council Japan)が製作したTV-CMのこと。

あちこちで指摘されていることだが、大震災以降は殆どスポンサー企業がTV-CM放送を自粛したため民放各局はACが制作したCMに差し替えて放送をしている。平時でも時々目にする映像ではあるが、一般企業の徹底したCM自粛の煽りを受けて民放はどの局でも番組以外はこのACのCMで溢れかえっている。

これを不快に感じた視聴者がACに抗議をしており、CM放送には直接的な責任がないのに(各局の判断で放映されている)WEBサイトに「お詫び」の文章を掲載している。

これらACが制作した映像の内容は社会問題を喚起するいわゆるキャンペーンCMと言える。それぞれの内容は決して酷いものでも低俗なものでもない(寧ろその正反対)のだが、放映されるパターンが少ないことに加えて、一日中「道徳」や「倫理」の授業が続くようで見せられる方がウンザリするのも止むを得ないと言える。

それにしても、元々CM放送をしないNHKを除いて民放各局は右へ倣えとばかり同じパターンになっている。この業界とオペレーションのことは全く素人なのでこれを簡単に非難することはできないのだが、少なくとも顧客(この場合は視聴者)の心理を考えた措置とは言えない。


被災地で悲嘆にくれている人々、救援の手を待っている人々、福島の原発で事故対応している人々、被災地から避難している人々…のことを考えると、取るに足らないどうでも良いことなのだが、将来こんなこともあった?という備忘録の意味で書き留めておいた。


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Before and after 3.11

.19 2011 日記 comment(0) trackback(0)
 自分の日常的な生活圏は計画停電の範囲から外れていることもあり、スーパーやコンビニの棚から牛乳が消えているくらいしか今回の大震災&津波の被害から直接伝わってくる影響は感じられない。TV、新聞、インターネットをはじめとした「窓」を通した情報によってその甚大な被害(未だ現在進行形の福島の原子力発電所を含めて)を知るのみである。

震災後、非常に連絡が取りづらかった仙台市内に在住する親戚たちの安全は全て確認できた。

「やっと電気が来た」「まだ断水している」「ガスはまだ当分時間がかかる」・・・など、親戚たちの生の声は聞いているものの、現場の現実を感じられるわけでもなく、TVで映しだされている悲惨な状況よりもかなりマシだろうか?という程度の認識が正直なところである。


ただ、我が国が第ニ次大戦後(恐らく)最大の災難に遭遇した2011年3月11日を境に、「何か」が変わりそうな(事柄によっては激変)予感がしている。これは各人の状況、価値観、そして感受性によって大きな違いがあるとは思うが。


この大災害を前にして非常に些末なことかもしれないが、昨日来の「プロ野球セントラル・リーグの予定とおりナイトゲームで25日開幕決定」の一連のニュースに接して、個人的には強烈な違和感を覚えた。(リンク先は全てスポーツ報知の記事)

セ・リーグ25日開幕決定…加藤コミッショナー「国難の時こそ真剣勝負を見せるのが責務」

「節電」要請でセ・リーグの25日開幕戦中止か延期…文科省「ナイターは厳に慎むよう」

加藤コミッショナー、文科省要請について取材対応せず

巨人が開幕延期を検討へ、連休中に結論か


加藤コミッショナーや球団幹部(特に読売ジャイアンツ)の発言は一見それなりの理屈も通っており、マトモな見解のようにも思えるのだが…。自分自身の中で、”Before and after 3.11”という価値観の転換が起こったのであろうか、全く素直には入ってこない。

少なくとも、上記の方々は”Before”のままのようである(これは”ブレない”こととは違うと個人的には思う)。


それから、福島の原子力発電所事故の報道に接して、メディアの伝え方に違和感を持った原因の糸口を見つける内容の記事をニューズウィークで見つけたのでご紹介しておく。


原子力は「神の領域」なのか、「人間の領域」なのか?


暫くは不確実なことが常態に・・・

.17 2011 日記 comment(0) trackback(0)
折角、改心してblogを再開(何度目だ!?)したのに、放置の危機に…

ネタはいくらでもあるので今日は書きます!


大地震(名称は統一されたのかしら?)と津波がもたらした未曾有の大災害は、一週間たっても再建どころか未だ正確な被害の把握すらできていない。

福島の原子力発電所の事故も未だ憂慮される事態が続いている。


この被災から立ち直るための円需要を見越してか、マーケットは先のニュー・ジーランド地震後とは全く逆の反応を示している(ニュー・ジーランドの場合はNZD安、今回は極端な円高)。これだけの被害を受けた国の通貨は経済活動の低下を懸念されて安くなるのが普通であるが、日本には未だ復元力があると期待されての円高なのであろうか?

この円高、輸出産業にとっては弱り目に祟り目であろうが、ただ悄然としていることはない。市場から浴びせかけられた円高、知恵を使えば国益に資する施策はいくらでもあると思われる。


恐らく全く不本意ではあろうが、この大惨事でキープレイヤの役割を担わされたのが東京電力であろう。

想定外の天災、地震の直接的なアタックはなんとかかわしたが、その後の津波には対応しきれなかった。設計の甘さを指摘することも出来るだろうが、それこそ数百年に一度の災害に備えるためにはコストが恐らく指数関数的に膨らむはずである。(それを果たして最終的には我々が)負担できるのであろうか?


その意味では発電所の設計に関しては東電(及び関係各所)を責めるのは酷かもしれないが、起きてしまったディザスターへの対処に関しては素人の私ですら疑問に感じることが多々見受けられた。

とにかく、政府・東電には衆知を集め危機の拡散を止めて欲しいものである。その組織に身を置いているがために理不尽ともいえる危険に立ち向かって作業をされている方々の努力には本当に頭が下がる思いである。


今回の福島の発電所の事故で思い知らされたのは、原子力発電に賛成・反対の立場に関係なく我々の生活はその恩恵を大きく受けて成り立っており、日頃の効率的な暮らしは殆どが電力に依拠しているということである。


電力関係は全く素人であるが、一応工学を学んだモノとしては突然の大規模停電を避けるための(ユーザ視点ではお粗末極まりないと見える)東電の苦衷はよく分かる(しかし、情報の伝達方法はもう少しなんとか出来ると思う)。

ただ、東電をいくら非難しても即座にこの電力インフラが元に戻ることは全く期待できない。我々の親の世代が第ニ次大戦後に味合わされた所謂「効率」という言葉とは相反する「不確実による非効率」が常態である世の中が暫く続くのではないか?と思われる。

さて、皆さん覚悟は出来ていますか?


被災された方々に想いをはせて、節電・寄付…なんでも出来る範囲で行動することは非常に重要。


だが、しかし・・・


このツマラナイ文章を最後まで読んで頂いた方への私からの僭越なお願い:


生活の余裕のある方は不必要な倹約なんてしないで頂きたい。
自由に使えるお金をお持ちの方はどんどん使ってください。

これが経済を活性化させる要因となることは間違いありません。

そして、墓場まで持っていける物理的な財産などありません。

もし、200歳まで生きてしまったら?なんて無駄な心配はよしましょう。



Collapse like a house of cards, but you'll never walk alone!

.13 2011 日記 comment(0) trackback(0)
停電による日吉での暗闇体験と渋谷からの徒歩帰宅、これまで直接的に降りかかった今回の大惨事による「被害」はたったこれだけ。昨日、今日の被災地をはじめとした被害ニュースを見るにつけ我が身の幸せを噛み締める。

それにしても、津波による被害の映像は凄い、凄過ぎる!

地球物理の法則に従っての地殻変動、地震、津波とプロセスが順次進行しただけと言われればそれまでだが、この自然現象に対して人間の営みのなんと無力なことか…。これらの映像、しかも我が国での出来事ということで、少々大げさに言えばこれまでの人生観も変わるような衝撃を受けた。

地震、火山の噴火、台風、…、地球の物理は様々な自然災害をもたらすが、これが謂わば我々の生存を可能にしている地球が「生きている証拠」とすれば、時として今回のような非常に大きな代償を支払わされるのだろうか?

福島の原子力発電所の被災を原因とした事故は単に破壊されるというだけでは済まされない、更なる甚大な厄災を引き起こす可能性がある。我々は電力という形でこの原子力発電の恩恵を受けているのだが、このような想定外の災害・事故に遭遇した場合、どんな心構えが必要なのだろうか?それにしても、この非常事態に最悪の事態を回避すべく我が身を危険にさらして働いている方々の努力には本当に頭が下がる。


観測史上最大ともいえる地震に見舞われた我が国であるが、全てが事実かどうか調べようもないがこんなエピソード集もある。

日本人のモラルに世界が驚く

日本人も捨てたもんじゃない。

ただ、ネットには「日本人が自ら褒めるのは気持ちが悪い」、「ネガティブな発言を批判するのは大政翼賛会」、「スーパーで買いだめにはしる日本人」…などの意見が見られる。全てを批判することがその立ち位置であり、それをある意味飯の種にしている人々もいる。勿論、言論は自由であるが、現在は個人的にはそちら側に立つつもりは全くない。


決して大きなことが出来るわけではないが、これから一体自分は何ができるかを考えて行動しようと思う。


You'll never walk alone!


昨日(2011.03.11)の地震

.12 2011 日記 comment(0) trackback(0)
昨日(2011.03.11)の宮城県沖を震源とした東日本巨大地震(正式名称かどうかは不明)の個人的な体験の覚書。

それは、高知・春野(メジャー)と伊豆・天城(マイナー)の合宿から戻った塾高野球部の今年初の対外練習試合を日吉台球場で観戦中の出来事だった。

日吉台球場は慶應日吉キャンパスの東側、マムシ谷を越えた新幹線のトンネル脇に位置した小高い丘の上にある。

14:46に激しい横揺れから始まり、その後下から突き上げる縦揺れもおこり、これまで最も大きな揺れを体感した地震だった。新設した照明灯の高い柱が激しく揺れ、屋外とはいえ何かに掴まっていたいと気分だった。それこそ地割れがおきてもおかしくないという揺れ方だった。

正直言って「これはかなりヤバイ!」と感じた。

その後大粒の雨が降ったり、この時期にしてはやけに早く暗くなるという、如何にも大災害を思わせる空模様となった。

試合はその後の大きな余震の時を含めて2度中断したが、8回裏まで続行した。塾高8ー3國學院久我山という結果だった。


地震後はるか彼方東京方面で大きな煙が立ち上っていたが、ワンセグを見ていた方から「お台場方面で火事」と伺い、さらに都内でも怪我人が出ているとの情報。震源地以外でもこれだけの被害が出ていることに不安が募る。家に連絡しようにも携帯は全く通じない状態が続いた。

試合終了後、日吉駅に向かうが地震後の停電は続き、東横線も運休ており運行再開の見通し全く立たず。
綱島街道も停電で信号機が機能せず車の大渋滞。さてどうしようかと・・・?

試合開始前、昼飯を食った普通部通り(いわゆるヒヨウラ)のとある店を訪ねてみると、ママが好意で店に入れてくれた。
野球部の先輩方とロウソクの灯火でなんとも風流な(?)「闇鍋風」の宴会となった。
この間、キャリアがS社の私のガラケーは殆ど「圏外」を表示していた。

これでも、一番若手だった自分が30分毎に日吉駅に運行再開状況をチェックしに行っていた。

3名の方が徒歩で帰られた後の23時前に東急全線が運行再開した。
ほぼ同じ頃にやっと停電が解決し日吉の町に明りが戻った。

運行再開直後だったためか、日吉で乗った各停渋谷行きは拍子抜けするほど空いており、元住吉で座ることができた。
しかし、渋谷駅は東横線・銀座線・井の頭線の改札口付近に乗車待ちの客であふれかえっていた。

本来、井の頭線に乗って帰るつもりであったのだが、いつ乗れるか分からない状況だったので、時々我が家から渋谷まで散歩するルートを逆に進んで帰宅した。

所要時間は徒歩約35分で、午前1時前に帰着することができた。


家の中には軽いものがいくつか落ちていたが、棚・家電製品など大物の転倒・落下がなかったのはラッキーであった。

P.S.
このように大きな災害ではあったが自分の被った被害は軽微とも言えないほど軽いものであったが、被災され命を失われた方々のご冥福お祈りするとともに救助を求める方々に一刻も早い救援の手が伸びることをお祈りするばかりである。

それにしても、福島の原子力発電所の被害の拡がりが非常に気掛かりである。
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